風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

枯葉絡む

私事ですが、この頃、そろそろ仕事を終えたいと思うことがあります。絵を描くことではなくて普段の仕事です。徐々に目が衰えてきてモニターを眺めるのがちょっとずつしんどくなってきました。元々あまり目は丈夫な方ではないので、いつまで普通にしていられるかなとぼんやり思っています。心配はその後の生活ですが、しかし色々とやっていることもあるので何とかなるでしょう。

枯葉がモザイクのように絡んだ状態を描く

枯れを描いている自分がドンドン枯れていく。まあ、そんなところでございますね。で、そんなことを思い始めたら、この頃やたら細かい仕事が続けて入ってきまして、なかなか絵を進展させることも叶わないでいるのですが、なるべく時間が取れた時にはストレスを感じない程度に進めたいと思っています。

ということで絵に関してです。草が絡むとか枯葉が絡むとか結構前から色々やってます。酔っ払いの絡みは苦手ですがこっちの絡には割と興味を持っています。

絵を描き始めた初期に於いてはなるべく単一の主題と周りを単純に分けて考えることから始めるのが一般的で、私もそれで良いのだと思います。しかしながら描いて行くうちには様々な複雑な領域に関心が行き始めます。

形が複雑に絡んでモザイクのようになった部分の面白さを以前から感じているのですが、しかしながら描くとなるとやたらと面倒な部分でもあります。形のオーバーラップはただでさえ掴みにくいものなので、やってもやっても切りがないなと思うことも多いです。

これを透明水彩調、つまりここで普段やっているような水で溶くだけの描画ではなかなか進んでいきません。元々透明描法では形が複雑になると抜くだけでも大変なのでこの辺の試行錯誤は不透明が適していると思います。

ところが世界には驚くような人が居て、著名な方でしょうが、複雑な草や蔓や葉っぱの絡みを抜きだけで描いているのを目撃してビックリすることがあります。根気の勝負かも知れません。

私としては、透明水彩であれば、どちらかと言えばあまり複雑になるよりも大雑把を考えた方が絵の具とその表現に関しては合っているように思うのですが、それにしても練習の繰り返しと人の能力の向上と言う面では色々と考えさせられるものがあります。後はまあ、好みの問題でしょうね。

スポーツで言えば素振りの部分であると以前にも書きました。この部分での練習を積み重ねることでしか進まない事柄があることは素直に認めた方が良いと思います。絵でもなんでもそうです。それだけでは物事は成し遂げられない部分があるのですが、最低限ここを越えなければ成せないものもあるのです。

何かにトライしている人であれば、どんな方面にも素直であることが求められると思います。ろくなものが身に着かない内に先に論が立ってしまう人は要注意だと思います。それも一つの増長です。