風の舞い--モノクロームの水彩画

モノクロを主とした裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

指摘癖は嫌われる

そりゃそうだよね。でもこれが趣味みたいな人と時々遭遇する。他人の欠点ばかりみていてそこを指摘することに快感を覚えている。普段は黙って距離を取るけど、そうできない場合はいささかの苦言を遠回しにやるしかない。でも通じることはない。そういう人は治らないんだ基本的に。

ここは既に絵とは関係のないブログになったけど、過去その世界との付き合いがどうしても多かったのでそれに関して言うと、もし自分か、或いは自分の子供などが絵を学びたいと思ってどこかの教室を訪ねようと思ったら、まずブログなどがあったらそれを少しくらい眺めて、あまり大仰な文言が並んでいたり、特に注意するのは、特定の人と思われる絵そのものの批判やこき下ろしをしている個所があったら、まず絶対にそこは避けた方が良いです。

あれこれよりも人としても部分ですね。

賢しらのお化け

人は何故賢しらな人が多いのか、とふと思うのです。子供の頃は誰でも多少はあるのですよ。大人に賢く観られたいというのがあって、誰でも似たようなものです。そこを考えると、私など賢しらになれる余地がない。なにせ出来が悪かったもので、なので友達は平凡(失礼ながら)な人が多かったです。

私の身内にもそんなのが居まして、大人の席に出るといつもと違うんです。まあ取って付けたようなことを言いますよ。まーた始めやがったと思ってシラケるのですが、ちょっとおだてると止まらない。


お絵描きさんには割と多く感じるというのは、そっち系の付き合いが過去は多かったので割合としては多くなるのは当然としても、絵を他人に見せるなんてのは、子供のころに、パパ、描けたよ、と言って褒めてもらいたくてもパパがあまり関心なさそうだとふくれてしまう、あの延長みたいなものなのでどうしてもね。聞いてもいないのにお説始めたり、君はまだここがわかっていない、とか言います。自分を上に置いちゃってる。これは絵描きに限らないですが、自分の心配しろ、アホめ。ミエ気取り賢しらは皆同じ。

チンピラが自分をカッコよく見せたがるのも同じですよ基本は。私はチンピラの世界はしりませんが、我をはってないと駄目なんでしょうね。切れる男を演じたがるのはどこにでも居るし。

わたしゃ出来が悪かったので、誰を見てもそう見えたのだけど、大人の世界も大して変わりません。度が過ぎるのはお化けみたいなもので、自分を言葉で飾る性格の人はちょっと控えた方がましに見えるかもしれません。用心しないとドンドン止まらなくなります。といって控えめになった人をみたことないですが。

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ここは絵のブログとしては終えてしまいました。後は至って気楽な場所です。思い付き程度の事しか書かないですが、元々がそうだったので…。

また台風でっか

マニアックな天気予報をみるともしかしたらここから二連続で台風がきそうな感じ。まだ26号がこれからだけど25号とよく似た進路をとりそうだというし、その後に27がどうやら発生すると予想されていて、そうなるといったいどれだけの雨が続くのだろう。もしかしたらお正月まで?

そんなアホナ。と思うけどしつこい。人間の絡み屋さんも困ったもんだけど、こう台風に粘着されたら相手が相手だけに文句の言っていくところもない。これからの日本はつまりずっとこういう状態になるのだろうか。

いつの頃からか、毎年六月にもなると別に台風というのでもなく夕方ごろに雷雨がくることが多くなって、以前はそんなだったかなと思うことが多かった。都内に住んでいた時にそんなことを意識したことがなかったので、これはこの地域の特徴かとも思っていた。その雷でパソコンを二度駄目にしている。急ぎの仕事があるときなどたまったものじゃないけど、それに懲りてそんな時は電源を落としてコンセントから抜いていた。今ではコンセントも電磁防御というのかああいうのに変えているけど、それだってどれだけ効果があるやら。もう20年も前からそんなだ。

今はその後に台風ということになった。子供のころからの夏のイメージが徐々に変わっていくかもしれない。ほんとに私も今年の夏は散々で、その苦労は今も続いている。

この後の台風と雨が正念場。毎度正念場よ。

ブログってマイペースが大事よ

ちょっとアクセスが伸びたりすると気持ちが乗ったりする。でもそれって、それこそちょっとした罠よ。絶対に動かされちゃダメ。だって、アクセス増えたってなにもないでしょ。ブログは寧ろ投げ瓶みたいのが面白いかもね。

大昔の話、ラジオの深夜放送はオールナイトニッポンなんか聴いて雑誌社周りに使うイラストなんか描いてたけど、これって随分懐かしい話。あんな時代もあーったねと…。

多くの人が聴いてたよね。でも日曜日は夜中の三時で終わり。東京の放送は全部なくなる。後はどこを回しても雑音と北朝鮮の放送が聞こえてくる。あそこの放送って電波強くていつも何か怒ってるみたいだったけど聴いても意味わからないし、放送が途切れるのも妙に寂しくてあちこちダイヤル回したら途切れ途切れにどこかの放送が聞こえる。

あれってどこの放送だったんだろう。もち日本のですよ。電離層かなにかに乗るのかな。でも、日曜日の三時以後に放送しているってどこだったんだろう。トーンの高い若い男のアナウンサーの声が耳に残っています。希望持ってたなああの頃って。

ブログってね、むしろあんな感じが良いんだ。真夜中に遠くで途切れ途切れの電波を聴いてる孤独な奴がいる。あれでいいんだよな。むしろあれがいい。たまにポツンと閲覧する人がある。その感じがいいんだ。

でもどこの放送だったんだろう。名古屋かな、もっと遠くかな。アナウンサーは誰だったんだろう。

今ごろになってちょっと思うね。

みんなどこへ行った

そんな歌があったね。誰の歌だったかな。このブログはもう更新しないことを述べて最後にするつもりだったけど、何故かその後も閲覧してくれる人もあるみたい。必ずしも好意的に見てくれているとばかりは言えないけど、ちょっと不思議な気がします。

そんなことなので、ふと思いついたことなどをたまには更新したいと思います。自分の覚えみたいなものです。

私は個人的な趣味で昔に開発されて廃れてしまっている分譲地を歩いたりしています。恐らく10年くらい前なら住んでいる人もあったかもしれないような場所ばかり。元々廃墟マニアということもあるけれど、戸建ての最後は私との直接関係のあることです。住まいだけじゃなく商売だって個人経営だったらいつか最後を迎える。ところがそれだってなかなかむずいのですよね。色々と面倒な手続きがある。


友人宅を訪れる道中、あるビルに画廊があることに気付いて、その時は友人宅を訪れるのに急いでいて立ち寄れなかったのですが、そのことを友人に伝えると、友人も描く方なので、早速一度訪れたらしい。現代抽象系の画廊で、私も今はそっちには遠くないので一度訪れてみようと思っていたのですが、果たせないままでいたら、最近は閉じちゃっているみたいだと友人の話です。

ブログもあって、だけどやっぱりコロナ以後は閉じてしまったみたい。コロナと関係あったかどうかは分かりませんが、ブログも止まっている。どうなったのだろう。街道沿いにあるけれど、あまり人通りがあるでもないところで、画廊の経営ってどうなのですかね。レストランが併設されていたようで楽しそうでもあったのですが、経営者の都合もあるし、経営の問題もあって、実は画廊もどんどん減っているように感じるのです。

以前から漠然と思っているけど、日本の人口減とも関係しているのか、街の画材屋さんも消えているし、美術人口も減ってるのでしょうね。画廊の経営も難しいと思う。今の私は絵描きさんをどちらかというと敬遠していますが、美術展に所属していた時は上野の都美館で展示するので年一回諸々が集まるのですが、その流れで飲むのが楽しみでした。所属していた団体は複数あって、その度に飲みました。しかしその団体も、たまに訪れると昔ほどの活気が、どうもないように感じます。何十年も経っているのに、以前より充実してるようには感じられませんでした。

余計なことですが、これはその手のブログのランキングを眺めていてもそう感じます。はっきり衰退しているように思います。続けてもしょうがないなと感じ始めるのかもしれません。私もそんな一人です。どうやら混じっている理由がない。

美術館も六本木に移ってからは一度も行ったことがないです。興味が失せたとは言わないけど、行くほどのこともないと感じるのです。都内に出るのが大変ですし。

どんなものにも終わりがある。潰れてはまた似たようなのができる。空き家サイクルもそんなものかな。

なにしろ空き家は遠くない我が家の運命です。戸建てに住まいする人には誰にでも来る問題。

練習は単純からでやっていたあの頃

このブログを始めた頃は完全に単純な素描の練習だけを考えていました。それ以上のことはやらない。それを守るつもりだったけど他のこともあれこれとやってしまいました。初期を思い出します。

描こうとする対象物は凡そ単純な立体に置き換えられる。球、円柱、円錐、三角錐、三角柱、立方体など。これを言ったのはセザンヌだったかな。私も受け売りなのであまりちゃんと記憶していないですが。

経験のあまりない段階では立体として掴むことが難しいと言っているのですね。風景として見える山の重なりなどもそれに置き換えられると言っています。

だから、当然人体でも人形で研究するのは決してまずくないと思う。一つの方法に過ぎません。

でもそういう人があったら、絡む人があった。人形ではなく本物を描こう。あろうことかわざわざそんなタイトルで…。

絵を描く人の心の闇は深い。

当初は本当に、積み木のような、細部を一切無視した抜きによる練習をしていて、抜きは透明水彩においてもかなり重要な部分なので、練習の意味でそんな感じのブログを考えたのです。なるべく単純に回りを囲って、大雑把で仕損じても修正をなるべくしない。単純なネガティブデッサンで、飽くまで練習。

でもこけました。なかなかブログを続けるのも難しいものです。

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先日も述べましたが、このブログの更新はこれが最後です。概ねは先日の記述の通りです。色んな人に応援していただいたことを嬉しく思っています。ありがとうございました。

失敗もまた良きかな

あの考え方って良いかも知れないですね。アイススケートのアリサ・リュー。一瞬アン・ルイスかと思ったけど、やっぱりそう思った人は多いらしくて、その彼女が--失敗大好き、転ぶの大好き--と仰っているそうです。


悲壮な感じでやるよりも我々は失敗を楽しめるようになった方が良いかもしれません。趣味と言うならなおさらです。明らかな失敗を展示することはないけど、こういう場ではね…。名人でもいつもOKなわけじゃないし、あの宮本武蔵でも達磨の絵を何度か書き直したそうです。名人にしてなおそれであります。

ということで今回も見事な失敗作です。描くたびに筆の運びのことをあれこれと考えるのですが、従って描くたびに筆使いが違っているような日々でして一向に落ち着きません。ちょっと物足りないところへ筆を入れたら変になってしまって、それを修正しようと思ったらもう泥沼。いつものことです。

しかしまあ、それも良きかな…と思うことにしましょう。

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ところでこのブログはその内いったん整理しようかと思っています。ブログを続けているとあれこれと考えることもあるし、そもそも初期の時点で粘着の問題でミソがついてしまったような感じで引きずってきましたので、それがいつまでも洗っても落ちない付着物をくっ付けている感じでどうもスッキリしません。最近は他にやることが一気に噴出してしまってブログは停滞気味です。まあ、潮時かなと思いつつあります。

継続するにしても更新はかなり緩慢になると思います。