風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

野に切り株あり

 

偶然の面白さを絵に活かす

 

誰が切ったかポツンとひとつ切り株野にあり。あっはっは、なんとなく雪舟を追いかけている感じですが、いえいえ、そんな大それたこと…。これは半ば以上偶然の結果です。

偶然をうまーく活かしている人の絵はとても魅力的だと思います。その部分をどう研究するかですが、思うに、そこはむしろ徹底的に遊びに徹した方が面白いのじゃないでしょうか。そして長い経験でしか出てこないものがあります。

遊び--などと言ったら、その言葉の浅い部分にモロに絡む人が居るので表現がとても難しいのですが、大体のことは理解できると思います。遊びだからと言って、人は不真面目にやる訳ではありません。そうではなくて、遊びはむしろつまらぬ作為を飛ばしてしまうものがあります。その部分はとても重要だと考えます。

これは、全くの幼児の絵が時として魅力的に見えることと関連します。自分を勘違いして周りを教え始めた頃の人の絵が最もつまらない--これは一部の人の間でも囁かれている言葉です。それならいっそ100%未熟の方が面白い。不思議なものです。

ミミズがイトミミズを教え、己を龍と勘違いして蛇を誹る。絵だけではなくて、一般社会のどこにでも見られる光景ですが、人は誰でも未熟ですから、そこを越えて行ければ良いのですね。

私は越えられないまま枯れて行きます。もっとも、龍と勘違いする程ではないですけれど。

本日もありがとうございました。