風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

魔物

何かありそうでなさそうで…。ただの樹木にも見えるし怪しげなものにも見える。魔物はそれ自体ではなく、現実にある形を借りて出現するとかも言います。

偶然から他をイメージする

私は絵を描き始めた当初はホラーアートが好きだったのでSFの世界にしか登場しないような奇天烈な魔物のデザインを幾つも描きました。カンブリア紀に出現した生物などはかなり参考にして面白かったですね。

しかし、そこはしょせんは私の才能。平凡なものにしかならなかったですが、その名残りなのか、今でも時折、別にそれを目論んだ訳でもないのですが、描画のなかに、ふと眺めると怖そうなイメージが出現することが日常的にあります。いつか怪物のデザインばかりを一つのブログに集めたりとかを考えていましたが、このブログでさえ更新のエネルギーに乏しいのでした。

誰の心にも鬼や魔物が棲むとか昔からよく言われます。当然私にも潜んでいます。それが世間の誰しもが持っているレベルならなんら問題はない。でも、これはちょっと怪しいなと感じる人も現実に存在します。モロに出てしまっている人はその人の身振り素振りや外見や雰囲気から分かるのですが、上手くカモフラージュしている人もある。

かなり昔ですが、バイトをしていた頃、あまりにも面倒臭く絡んでくるオバサン(失礼、でも私もオッサンですから同じです)が居たのです。事業所と言うのはパートの主婦(とは限らないけど)を沢山抱えていて、何故か部屋の責任者の社員より偉そうに振る舞う女ボスが居て、許しもなく話しかけても無視なんです。映画の話かと思うでしょう。そんなのが実際にある。絡んできたのはそれを嵩に着た小ボスの一人でした。そういうのが新入りに偉そうに絡むのですね。あっちはパート、こっちはバイト。その違いは良く知りませんが、互いに底辺労働者で本来は助け合うべきなのですが、こういう存在もある訳です。

度が過ぎるので、途中までは我慢して接していたのですが、遂に頭にきて一切を無視するようにしました。言葉はおろか目も合わさない。すると誰かに言われたのか自分でまずいと思ったのか、ちょっと愛想などするようになって言葉使いも変わりました。

これも一種の魔物が出てるのですよね。出しても良い条件があったらモロに出て来る。醜い振舞が出る。言ってくれる人がなければ絶対に自分ではわからない。

相手が態度を変えてもこちらはもう変えませんでした。そういうのは相手が怒る前に自分から気を付けるんだ。できない人とは口などきかない。こっちは一種の鬼の部分でしょうか。あっちは魔物、こっちは鬼で対抗。

後味も悪いのであまり出したくはないけど、しょうがないこともあるのですね。しかしそのパートはまだマシだったとも言えるでしょう。言われて気付くのだから。こういうのを何度も眼にしているので人間の増長というのを私は蛇蝎のように嫌っています。

腹の中のドロドロを言葉でカモフラージュしている人もある。愛を言う人に愛はなし、心をいう人に心なし、と言われます。普通にそれがある人は一々それを言う必要がない。昔から言います。世間の誰もがにわかに反対しようのない言葉を日常唱える人からは遠ざかれ。このタイプの人も一種の魔物を隠している。

でも不思議なことに、類は友を呼ぶで、キワモノとも合う人もあるのですねこれが。○○には○○がくっ付いて、と某落語家さんが言っていました。煽り運転で逮捕された不動産屋とカメラ構えたオバサンですね。仲いいんだこれが。

その落語家さんも某お笑い芸人さんの成れの果てに絡まれて辟易してましたですね。いちいち絡まれたら発言もできない。

お笑いさんが誰かは言いませんが、これは飽くまで私の感想ですが、ちょっとばかり人相がギョッとするものになってるように思います。言葉使いや性格は皆顔に出ますからね。

あっちもこっちも魔物だらけで大変です。

 

本日もありがとうございました。