風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

路傍の樹

 

樹木を明暗のパターンとして描く

かなり昔(と言っても三四年)に描いたものを振り返っておりまして、これも単なるポスカラによる描画の練習ですが、今とはそれなりに違った描き方をしているのが見えて興味深いです。と同時に、変化はあるけど進歩があるかどうかまでは判断できないところが微妙ですね。ただ間違いなく言えるのは、描画の速度だけは上がってきたということでしょうか。

私は長い中断の後、絵を再開したのが精々数年前なので、そこが随分昔のように思えてちょっとばかり懐かしいです。時間の不思議というのを感じますね。

個人で描いている場合、商業美術と違って描画の速度は関係ないと私は割り切っています。商業美術はそもそも自分では絵の評価はできませんし(もちろん思惑が一致すれば良いのですが)納期と言うものがあります。商業美術は時間で仕事をしています。従ってなるべく労力と比較して充分にペイできる程度の時間でシステマチックに仕事ができるように誰でも修練します。クライアントにお説を言ってもしょうがありませんし納期を守らないと信用も無くします。

しかし個人で描く場合は、そんなこと一切関係ありせん。なので、自分の絵を完全に潰してしまって収拾がつかなくなることなんてありふれた話です。個人の世界で絵を描いている人は他人を感心させるために描いているのではないですし迷路にはまることが何度もあります。

どこかで聞いた話ですが、歴史的に著名なある画家さんは、あーでもないこーでもないと行った戻ったを繰り返し、小品一枚描き上げるのに半年かかることもあったと言います。それでも世界的評価がありますので、描けたものに訴える力がある訳です。

ムフフ、私などは絵を含めたあらゆることで、行った戻ったを永久に繰り返してきた人生ですね。ほとんど無駄に終わりましたが、しかしそれも、今となってはどうでも良い話です。

余談ですが、私は描く早さを言いたがる人が苦手です。サラッと描けるのよ--と言いたがる人ですね。訊いてもいないのに時間を言います。これは自分の上手さを言いたがっている人であり、そういう人に何度も遭遇すると気分的に滅入ります。

半年くらいは練ってみたらどうですかと腹の中で思ったりします。

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上の絵は、輪郭を丁寧に追うのではなく、見える全ては大小様々な明暗のパターンに分解できるという考えであれこれとやっていたのですね。どれが正解ではなくて一つの考え方です。

 

本日もありがとうございました。