風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

いきなりですが水彩画

ふと思い立って深い森の中を流れる川を想像して描きました。これは透明水彩です。絵の具は安物ですが。

森を流れる川を描く

色彩ものは精々数ヶ月に一度にしておく考えですが、一応は色々やって置こうということでして。ジャングルの部分でちょっと想像しきれませんでしたね。

絵を教えて居られる先生のなかには、透明水彩にかなり批判的な方が居られます。曰く、あんな薄塗りでろくなものは描けない----らしいです。

しかし透明不透明の双方を好んでいる私には、これは随分な驕りのように思われます。

とくに私はこのブログで--形抜き--を言っております。その部分は塗り残されます。絵の具の乗っていない、紙の地が露出しているようなものが作品と言えるだろうか----そんなセリフを切れ者の刑事に言わせている小説がありました。海外のものですが。

 なるほど紙の耐久性は絵の具ほどはありませんし、多くは紙焼けを起こします。しかしそれでも、著名な作家が優れた作品を残しています。長い年月が経っていますが、劣化の部分を差し引いても透明水彩の魅力が消えるほどのものではないと思います。

私が油絵を描いていた時代に大きな影響を受けた方は、同時に透明水彩の名手でもありました。もしかしたらご本人は、或いは油彩よりもそちらを本当は好んでいたかも知れない。ただその描画があまりにも神業なので、評価は不当に低いと個人的には思っています。

どなたとは言いませんが、歴史的な大家であることは変わりはありません。

気をつけねばならないのは、透明水彩をおやりになっている方のなかにも、これと同類の人は少なくないということです。不透明は修正ができて簡単だが自分はそれを採らない----と暗に言いたがっているのを意外に多く見かけます。

これは首を傾げます。と同時に驕り気取りを感じます。わざわざそんなことを言う必要がありません。これは反対側に居るだけで人としては同じです。

増長の芽生えはどんな隙間からでも現れます。自戒したいと思います。

本日もありがとうございました。