風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

野原(のっぱら)に夕暮れ近し

実はこれ、完全に失敗作です。いじり過ぎてヘビーになってしまったので没にしていたものですが、洗いをかけたらどうにかなるのではないかとつい色気が出ました。

結局はこの有様。しこたま汚れてしまいました。何度やっても同じことの繰り返しで、それらしい進歩はあるのかと、つくづく疲労を感じます。

そんな時は休むのが一番。確かにしばらく絵を休むと新鮮さが蘇ることがあるのですが、完全に絵を頭から追い出すのが難しいのですね。20年以上中断していた時はなんら考えなかったのに。不思議なものです。

ここを閉じる訳じゃないですが、こうしてブログで絵を公開しているのって、一体なんだろうと、最近は思ったりしています。何のために見せているのかと言うことも、なかなか解決の付かない問題です。個人的にはもうボケ防止の意味しかなくなっているのに、それを世間様に公開してなにがどうなるのかと、そんな思いがちらつきます。

先日から書いていますが、人は気にしていることに関して言葉が多くなり図星で逆上すると言います。そうしたドロドロしたものに、ネット上では予期せず遭遇することがありますし、しかしそれは逆に、そもそもそういう人も、何故絵を描いているのかという疑問を抱かせる切っ掛けになりました。人は何故絵を描くのか、商売上なのか見栄なのか、あれこれの文言を重ねて、何故自分を評価させたがるのか、他人を貶したがるのか。様々考えると、絵は必ずしも人を幸福にはしない。

それでいて人は絵を描きます。原始人が描いた洞窟の壁画など見事なものだと思います。生半可な修練では描けない。彼はどんな切っ掛けで絵を描き始めたのでしょう。しかも、多分一人じゃない。案外商売だったかも。ひとつ描いて骨付き肉一本。まさかね。

ふとそんなことを考えながら、自分たちの祖先なのか、或いはネアンデルタールなのか、詳しきを知りませんが、ぼんやり彼に思いを馳せます。きっとややこしいことは考えなかったでしょうね。

本日もありがとうございました。