風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

野原暮色

幼い頃の私の住まいは平屋の長屋だったし(牛小屋を改築したとかでした)、周辺にある家も大抵は平屋でした。建物そのものが少なかったので、市街地から外れるとこんな雰囲気があちこちにありました。

筆跡を残して野原を描く

そもそも子供の頃はこっちの視線が低かったから、世界は違って見えていたと思います。子供の視線ではちょっと高い所に登らなければ。風景は決してこのようには見えません。周辺の事物と地平線がかなり重なるので、世界は狭く見えていたかも知れない。逆に思えるかも知れませんが、周辺しか見えないことが多いですからね。

ぼうぼうと生える草はもっと背が高く、遊んでいても時には原っぱの中で隠れてしまう程でした。バッタがいっぱい飛んでましたね。歳を喰うとそういう風景が妙に懐かしくなります。

ところで私は御覧の如く、どちらかと言えば筆跡をそのまま残す描き方が好きです。これは時として誤解を生みやすい描き方ですし、未習熟がそのまま絵に出ます。なので黙って練習するしかないのですが、下手は下手なりということがあって、誰しもはその位置で本分を尽くせばよいのだと思います。

結局のところ絵は、絵の具や筆といった道具を使って描いています。そこでの積み上がりが自然と受け入れられるように素直に練習をしましょう。自分の今ある位置はしょうがない。下手を恥じないというところでしょうか。恥じなければ予防線を張る必要もない。絵を描いてそれ自体の講釈の多い人は、その多くが見栄や予防線です。更に言えば、自分を承認させたがる欲求です。

絵に関してはどんなに深入りしても良いけど、そっちはなるべくはサラッとしたいものです。