風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

草もつれ

もつれているのは私の頭ですがね、そのもつれた頭で苦労している訳ですよ。草などのもつれは描くとなるとなかなか厄介です。似たようなことを何度もやっています。説明するでもなくもつれたものは複雑なイメージを形成するので、それを表現するとなると大変です。少なくとも私的にはなかなか手に負えない。

 

草のもつれたイメージを抽象画風に描く

 

しかしその部分を幾何学的抽象的な模様として見るとなかなか面白いものです。この辺をもうちょっと昇華できればと思うのですが、物事の積み上がりは言葉を発するより遥かに難易で長期的な時間が必要なので、ここを我慢できないで途絶えることが多いのかも知れません。

人がどんなスタイルの絵を描くのかは、人が何故絵を描くのかと同じくらい結論の出ない話です。人は--知--と好奇心の生き物であって、それがある故に、単に生きるだけを越えた様々なことをやります。絵もその中のひとつなのでしょう。別に絵に限りません、時には山登りだったりお茶だったり或いは冒険だったりします。私の場合、絵だけをやっている訳ではないですが、ウエイトとして高い存在です。そして今もって報われることはありません。

この場合報われると言うのは社会的に認められるとかたんまりの収益がそれであがるとかを言うのでしょうが、今の自分にはその二つとも、もう必要ありません。若い頃なら多少の色気はあったかも知れません。しかしながら私は、物事の取り組みの多くはその色気をなるべく捨て去った方が良いと思っています。全くない人は居ませんが、それが強い人はモロに見栄に傾きます。見栄の強い人は言葉で自分を評価すべく誘導するようになり、己を世間に売り込み他の批判をはじめます。言葉の多い人は結局自分を飾り褒めています。

まあ、こういうことを言うから覚えのある人から絡まれたりもします。いえいえ、これは自分への戒めです。元々色気大好きですからね。わっはっは。

この文面は飽くまで個人の想いであり考えであります。あまり流用しないでくださいね。知りませんよ。

本日もありがとうございました。