風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

迷い込んだ場所

既に何年も経って、形の上ではとっくに解決しているのにどうにも気になる事故や事件があります。その一つが山梨のキャンプ場から女子が行方不明になったあの事件です。事件と言うよりは事故で一応は決着が着いているのですが、 未だに不信に思う人たちが色々と意見を言っています。

 

迷い込んだような不安な森の印象

 

私が幼かった頃を思い出して重ねてみると、随分寂しいところまで少なくない距離を歩いてきてしまって、そこから更に先を行くことがどうしても腑に落ちないのです。心細くなったら引き返す。普通ならそういう行動をとるものだと思うのです。だって、先は暗くて怖いのだから。殆ど行き止まりみたいなところで、どうしてそこから先へ行こうとしたのか。子供は上に登って行くものだというのが別の子供の件で広く認識されて、そうなのかも知れないとは思うのですが、なにしろ年齢が違います。

そう思う人は多くて、色んな人が推理しています。更に、いささか不謹慎でもあるのですが、単純に事故で解決するよりも事件である方が興味深くなる面を誰しも感じるものです。人と言うのはミステリー好きです。私も例外ではありません。

しかしながら、いわゆるスピ系の人が、結局は何等の解決にもならないような動画を作ったりしているのは、ちょっと疑問に思います。よくよくのことでなければそれはしない方が良い。その人に何が見えているかいないかなどは私には検証のしようがありませんが、のっぴきならないようなことがもし見えて、それが調査で確認されるようなことでなければ誰が何を言っても何の役にも立たない。実直な推理を働かせる人の方が私には頷けるものがあります。

その意味で、事件性はなくてもこのようなことはあり得るとする人の動画があって、ああそういうこともあり得るなと思うようなことでした。事実は奇なりなのです。探す人の声が山の中では回って聞えてくることがあるし、すぐそこに見えているところへ行けるはずが全然そこに繋がっていない。そういうことは普通にあります。変だなと思ってもなかなか引き返せない。

それは成人でも普通にあります。引き返すのはなかなかできないというより普通に少ないようです。私も道迷いはあります。変だなと思ってももうちょっと行けば抜けるのだろうと考えてしまいます。降りる方向で迷ったら引き返すのは大変です。しかしこの子の場合は、迷いながら登ってきたので引き返すのはそれほど苦労ではなかった。多分、どこかでどっちがどっちなんだか分からなくなってしまった。そんなことだったのではないか。立ち止まったりキョロキョロしている間に来た道が分からなくなってしまった。はっきりしている大きな道までとにかく戻って山に入りさえしなければと思うのだけど、どうだったのですかね。どうして登って行ってしまったんだろう。そこばかりはやはり疑問です。完全にパニックになってしまってたのですね。混乱のままに動いたのでしょうか。

やり切れない思いが消えないですね。