風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

形抜きのことを少し

以前から勝手に名付けている形抜きのことですが、もう少し考えを述べさせて頂きたいと思います。飽くまで私個人の考えです。

ここではペイントと言うよりむしろ要求しているのは素描力なので、ネガティブペイントではなくてネガティブデッサンとでも言っておきます。要するに形を抜く練習です。 

ネガティブデッサン
野原のこんもりした部分

何故これが必要か----に関してですが、絵は色々な要素のかたまりなので一口には言えないのですが、私は個人的な好みもあり、陰影の側を描くことによって浮き上がるように表現された部分にとても魅力を感じています。

 

ネガティブデッサン
その描き始め

一般論ですが、主題には明るい部分が多く含まれ重要な要素を持っています。その部分は前に出てくることが多いのですが、不透明なら後から明るい部分が描けますが、透明では出来ませんので、描きながら程よい形に抜いて行かねばなりません。

 しかしこれは、かなり面倒で厄介です。その形は様々だし、細かく複雑な場合があります。なので必要に応じてマスキングを使ったりしますが、野外で描く場合にマスキングをする人は少ないでしょう。それはそれでまた面倒です。

従って、描画の訓練として、塗る部分と塗り残す部分の形を単純化して分ける工夫が必要になってきますが、これが一筋縄では行きません。それをやるには全般的な素描力が必要であって、それを怠ると絵は冴えないものになります。

この練習を充分にやっている人の絵は明快な爽快感があって、観る者を、例え一時だけでも幸福にします。遠い道のりですが、私も少しでもそこに近づきたいと願っています。

ネガティブの描画を言う時には、必ずデッサンの練習でもあるのだと自覚する方が良いと思います。塗っているだけでは修練にはなりません。実際にネガティブペイントと言いながら、一般的な描画とどこが違うのか全然分からない場合がほとんどです。

しかし明らかにこの部分の魅力をよく知っているなと感じる作家は沢山居られます。素描力を養わなければ魅力的な抜きは難しいです。素描の練習は普段のことですので、ひとつだけのことをやるより使えるものは何でも使い、鉛筆一本でも素描の練習をすれば良いと思います。そして時と場所に拘らずにどこでも何からでも材を採って練習するのが一番です。

実際に抜き分けるには事物の観察とそれなりの思考が要求されますので、サラッと描画を専らにしていたのではこの練習は積み上がりません。

記事を書いていて思い出したのですが、古い昔にハサミで紙をチョキチョキと切って、ぱっと広げたら見事にある光景になっている----それをやっている実に上手い人が居ました。私も子供の頃は割とテレビで見たのですが、あれは脳みそを逆にしないとできません。あれにちょっと似ているかなと思います。今頃は見かけませんが、当時のあの御仁は、随分な練習をしたのだろうと思います。

本日もありがとうございました。