風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

畔に枯れ木あり

以前似たようなのを描きました。余程こんなシーンが好きなんだろうと思います。人がどんなものを好むのかは色々と興味深いものがあります。

畔の枯れ木

個人的には、全てにピントが合っているような描き方よりも適当にぼかされた絵が好きです。水墨画に惹かれるものを感じる性格なので当然かも知れません。しかし水墨画は一般的に陰影描画はやらないように感じます。私は実は、陰影にこそ多くの秘密というか、要素が隠れているような気がしています。

 

でもちょっといじり過ぎた気配無きにしも非ず。個人的にはこの辺が好きです。ひとつポツンとやると反対側にウエイトが欲しくなる。それでドンドン行っちゃうのですね。その抑制も練習と経験ですね。そう言うのを繰り返して少しずつ狙ったところに辿り着ければ良いですね。

 

暗示と言う面から考えるといつも描き始めが良いのです。そこから描くに従ってつまらなくなることがあるとしたら、それはやっぱりまだまだ練習不足だと思います。

物事はトライ&トライ。

途中経過を公開するようなことはあまりしたくないのですが、せっかく写真を撮ったのでして。画像の枚数稼ぎですね、はっはっは。

なぜそれをしたくないかと言うと、それは教える人の行為に見えて、あまり好きじゃないのですね。私はそんなものではないので…。

これは近所の溜め池を元にして描いているのですが、ガッシュを含めて同じところから何枚も描いています。ほぼしくじっていますけれど。

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以前にちょっと述べたことがあるのですが、普段時間があるとゲームドラマなどを見ています。と言ってあれは実際かなり長いのがあるので最後まで見るのはなかなか難しい。いつも途中で断念して、次に見ようとしたら何だったか忘れてしまうことが多いのです。

そこでいつも感じているのですが、CGで作られている映像とはいえ、それは時として実写の雰囲気を越える場合があるように思えます。ドラマも下手な映画より惹き込まれる場合があります。ドラマはともかくとして、絵を描く者は頭を常に柔軟にして、映像がドラマチックに魅力を感じたりした場合、それは一体どんな要素を持っているのかを考える必要があると思います。と言うよりそれがそもそも楽しいのです。人間は創意工夫、考える生き物ですからね。

私は元々趣味の絵画から入ってきた者ではありません。だからその面での多くの人が唱える絵画論にはほぼ興味がありません。正直に言えば、実際それは私にとってはかなり退屈です。

私たちは映画のシーンでも、あるいは夢の中でもいつまでも心に残るようなワクワクするようなシーンを目撃したりします。また、遭難した登山者が、これは主に単独行動の場合ですが、現実を遥かに凌駕する程の幻覚を目撃していることが報告されています。この脳みその不思議に、私は好奇心を持ちます。このことは過去にも何度か述べています。

とは言え私の能力不足もあってなかなか想い描いたところに到達しません。焦る気持ちばかりですが、しかしむしろのんびりと、その過程を楽しむのも悪くはないと思います。今更逆立ちしても空回りばかりですね。

のんびりやりたいと思います。本日もありがとうございました。