風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

単純な抜きで幽邃な水面を描いてみました

ここしばらく続けております単純な光抜きの一連です。

これはなるべく単純にパターンで明るい部分を抜いて、後はぼかすだけです。ぼけた部分とくっきりした部分の絡み合いで見えるものの全ては暗示されています。それはまた、描くならなるべく単純なほうが良い----とするのが私の考えであり好みです。

単純に幽邃を描く

一度にやり切っても良いのですが、たいていは一度単純なパターンで抜いて、あと一回重ねるくらいです。何度もやると壊れます。エッジが立ちすぎて、もうちょっといじりたくなる部分も意識して放置します。練習では作品を意識する必要はありませんので、やった結果がどう見えるか、それを認識しつつ練習すれば良いと思います。

単純に幽邃を描く
描き始め

ポカっと抜けた部分と黒く押さえた部分と、あとはその間の階調くらいで十分です。それ以外の階調は適当に生まれます。それらがうまく作用し合って、静まった幽邃な水面の感じが出ればとの目論見です。

 一見水墨画っぽいですし、水墨画をおやりになる方でしたらお得意かも知れません。しかしこれは決して水墨画の練習をしているのではありません。絵画はどの方面でも共通する部分が多いのです。

雑多に存在する細部をどう処理するか、これがなかなか難しいところです。部分的に非常によく仕上がったと思っても、全体を眺めれば壊れていることが絵には普通にあります。それが写真ならいちいち写っているものに文句を付けようとは思いません。しかし絵になると人間の目は途端に厳しくなります。写真を追いかけたような絵が得てしてしつこくて退屈に見えるのもそのせいかも知れません。その狭間で描く者はいつも悩みます。

余談ですが、私は沼の畔に立つと、ついぼんやりしてきて引き込まれそうになることがあります。飛び込むわけじゃありませんが、静かに水を湛えたところは実に神秘的だと思います。沼に限らず水辺は絵心を誘います。

本日もありがとうございました。