風の舞い--モノクロームの水彩画

モノクロを主とした裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

ミステリアスな夢

このごろはもう、ほんとにまったく眼が劣化してしまって、以前はサムネのピンボケがわかったのに今は全然わかりません。描いた絵にピントが来ているかどうかすら判りにくくなりました。なので以後の絵はかなりラフになって行くと思います。

前回同様、今回も夢の話です。このブログでも何度か言っています。私が絵を描く重要な部分は夢と密接に関係しています。夢の中では見たことすらないものが実際以上にリアルに現れることがあります。その不思議を思うのです。ものが見えているということは、いったいどういうことなのか。何故脳は見たこともないようなものを組み立てる能力があるのか。

夢の記憶

その部分は個人的に非常にこだわりのある部分なので、以後は夢とそれに関するポンチ絵でブログを進めたいと思っています。実際どうなるかその時任せですが。続くかどうかすらわかりません。

例えば遭難した人はほぼ例外なく幻覚幻聴を経験します。これも何度か述べています。この部分はとても不思議です。これは映画でもよく扱われます。南米のジャングルをグループで探検した時に、仲間とはぐれてジャングルを彷徨った人の映画がありました。話の殆どを略しますが、発見されるまでの間、本人は実にリアルな長い幻覚を見ます。映像だけじゃなくてものの感触すらあるのです。夢と幻覚の違いはどこにあるでしょうか。

夢の記憶

若い頃からの習慣で私は割と夢をメモしています。どうしてこんな夢を?ということがかなりあります。あるときどんな経緯だったか、どこかの無人島に上陸して、その島には以前秘密で何かを作っている工場がありました。誰がそう説明した訳じゃないですが、夢だからそうなっているのです。工場はとっくに廃墟になっているのですが、廃墟好きの私には堪えられません。

当然忍び込むのですが、廃墟なので誰もいません。真っ暗な内部を探検すると子供のおもちゃとか人形とか色んなガラクタが散乱していて、ちょっと気味悪いのですが、でもなんとなく懐かしさを感じます。

それらガラクタを探っていると子供の頃に何度も見かけたデザインのスケッチブックがありました。最初からめくってみると、どこかに見覚えがある。如何にも幼児が描いた拙い絵がズラッと描かれてあるのですが、時間と共に徐々に記憶が蘇ってきました。これは自分が幼い頃に使っていたスケッチブックだ、この絵は自分が描いたものじゃないか。

そんなところで目覚めたのですが、ちょっとミステリアスな気がします。犯罪者を追いかけたら、実は人格が入れ替わっていた自分だったという映画がなかったでしたっけ。

たしか、俳優兼画家の榎木孝明さんは、「夢の話をする人は、あれは嘘なんですよ」と語っていたように思います。なぜなら夢はすぐに忘れてしまうのでと。

このことは私には驚愕です。そのタイプの人が居ることを私はその時初めて知りました。印象的な夢は誰でもかなり覚えているものだと思い込んでいたからです。しかし夢を記憶しない人が世の中には居る。確かに夢は所々を補完する部分も出て来るのですが嘘というのとは違います。

実際直ぐに忘れてしまう夢もあるのですが、何度か似た夢を見たり、異常に長い夢を見ることがあります。しかもかなり克明に覚えている。このメカニズムの違いは実に興味深いと思います。どこからそんな違いが現れるのか。

昔程ではないですが、今も時折はメモを書いています。しかしこれはなかなか面倒で、この頃はそれも途切れがちです。メモを書いている内に目覚めてしまって睡眠が悪くなるのです。

夢日記ではあの柘植義春さんが有名ですが、先生は多分私と似たタイプの生物なのかも知れません。夢見がちなタイプなのですね。

絵は当時のブログに使ったポンチ絵にちょっとだけ筆を入れて修正しています。夢なのであまり具体的な絵は描けません。