風の舞い--モノクロームの水彩画

モノクロを主とした裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

礫丘

読み方はお任せしますが、礫ってなんでしょうね。小さな石の粒のことでしょうか。東京に小石川というところがありますが、昔は礫川とも書いたようです。地名の不思議でもあります。説明は本来要りませんが多少の余計を言いますと、これは礫が盛り上がってできた小さな盛り上がりです。

 

礫

 

どうやって描いたかは言わずに置きます。色々やっていますがどうせ大したことはやっていません。これもひとつの現代アートの類だと思っていただければなのですが、アートをする者が一体何に興味を抱きどんな表現を模索するか、これは完全に個人の世界であって、だからこそ面白いのです。なので時々は普段と違ったことをやります。

しかしながら、自分でアーダコーダとやっていて、アートっていったい何だろうなと思わぬでもないです。世間様の作品にも全然アートを感じない場合があるかと思えばその辺に捨ててあるゴミにアートを感じることがあります。この違いはいったいどこからくるでしょうか。

物の優劣出来不出来を言っているのではありません。そういうこととは全然別のことです。これまで生きてきた全てのことがそれを形作るでしょうか。思いつつも増々わからない世界です。

でも、物事の大方は、何かわからないからやっている部分があるのです。描く者は、あるいは創作する者の日々は全て未知の探索みたいなものです。それ故面白く感じる。

とはいえ、優れたアーティストなども、実はかなりはまぐれの重なりだったりするのじゃないでしょうか。大事なのは、それを見つけた時に逃がさないことかも知れないですね。

逃がさないわよ!

一度そんなことを言ってみたいです。一度カラオケのママにそう言われたことがありまして、期待しましたが何もありませんでした。最後にはもう閉店なのでと言われました。これが日常というものでございますね。ワッハッハ。

本日も戯言でございました。