鞭声粛粛 夜河を過る 曉に見る千兵の大牙を擁するを 遺恨なり十年 一剣を磨き 流星光底 長蛇を逸す----
の暁ですね。上杉謙信と武田信玄の川中島の戦いを、謙信側からの形で頼山陽が詠んだものですね。詩吟をやらない人でも大抵は知っているのじゃないでしょうか。
粛々と声を潜め、鞭の音も立てず、大兵を擁し夜河を渡る。十年の遺恨を抱いて剣を磨いたが、残念なことに信玄を仕留め損ねた。
こんな意味でしょうか。この戦については今では色んな解釈があるようでして、実際は予期せぬ出会い頭の戦だったとも言われていますが、信玄も危なかったのは間違いなさそうですね。しかしまったく別の解釈から、謙信以外ではとても操れない兵の動かし方であったとする説もあり、興味が尽きません。
いやいや、戦の話ではありません。いきなり脱線しました。
それなりの年配の方であれば寝台車で旅行された経験は誰しも一度くらいはあると思います。明け方にふと目覚めて、車窓のカーテンの隙間から外を眺めます。今どの辺りを走っているのだろうか。
見えるのは海岸線?それとも湖?
水平線の向こうに、夜明けの光が見え始めている。そんな感動的な一瞬が私にもありました。適度な揺れとレールの音が頭の中にある色んな記憶を思い出させます。暁を眺めつつ、ぼんやりと色んなことを考えました。
旅はそれ自体がドラマですね。
関西に居た頃は、主に西に向かって旅をしました。瀬戸内を走る寝台列車、確か名前は--音戸--だったですか。山陰に向かう京都発もありました。こっちは名前を忘れてしまいました。
急行銀河の寝台に乗って東京への旅もあったように記憶しています。逆だったかな、大阪へ戻る時だったかも。もっとも東京への旅は大垣発の各駅停車の夜行が面白かったですね。これは寝台じゃないのでちょっとしんどかったですが。
天王寺発の紀伊半島走る各駅停車の寝台列車もありました。急行や特急の寝台と違って、どことなくよれているのが面白かったです。これは新宮行きでしたっけ。色々乗りました。とにかく寝台列車には色んな思い出があります。しかし惜しいことに、すっかりなくなりました。
一度は乗ってみたいと子供の頃から思っていて、遂に果たせなかったのがあります。特急日本海。残念でした。
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本日もありがとうございました。またちょっとの間お休みを頂きます。